サマーレッスン プロデューサー/ディレクター

玉置 絢 たまおき じゅん

僕たちもプロジェクトソウルだった! バンダイナムコのプロデューサーたちが語るソウルキャリバー。

―実はソウルキャリバーに開発スタッフとして関わっていたという両名。20周年にあたって対談形式で話を聞いてみました―

玉置:羽生さんは現在同じフロアで働いている先輩ですが、過去にソウルキャリバーに携わっていたのですね。

羽生:僕は旧ナムコに入社して、『VS開発部』という部署で『鉄拳』のビジュアルデザイナーとしてキャラクター制作を担当していたんですが、ちょうどPS3が発売するタイミングで、次世代機に向けたグラフィックの技術研究を行っていたんですね。その流れで1年くらい『ソウルキャリバー』プロジェクトで、という話をいただきました。キャリバーシリーズはグラフィックに力が入っていて、技術的にも興味があったので携わらせてもらいました。紆余曲折あって『ソウルキャリバーⅣ』も携わることになり、結局2~3年くらい関わりましたが……。

玉置:キャラクター制作をやられていたんですか?

羽生:キャラモデルもやりつつ、パッケージなど、パプ素材のハイエンドCGを担当しました。『ソウルキャリバーⅣ』ではビッグコンテンツとのコラボなど、ワールドワイドで反響があって印象深かったです。その後は異動してプロデューサーとして色々なタイトルに携わってきたので、デザイナーとしては最後の仕事になっていますね。

玉置:私は『ソウルキャリバーⅤ』立ち上げのタイミングで配属でしたので時期的には丁度羽生さんと入れ違いですね。新人研修が終わった際に『エクストリームバーサス』プロジェクトと『ソウルキャリバー』プロジェクトで希望を聞かれて、ガンダムの知識にまったく自信が無かったので『ソウルキャリバー』と回答したら配属されました。結局、のちに『エクストリームバーサス』にも行くことになり、猛勉強しましたが(笑)。

羽生:『ソウルキャリバー』には自信があったという事?

玉置:いえいえ! そちらもプロジェクトの先輩方に基礎から叩き込まれまして、配属されてすぐは、ソウルアーカイブなどの資料を読み込んでの勉強&休憩時間には先輩方とひたすら対戦という毎日でした。特に面倒をみてもらっていたゲームデザイナーの先輩方が強くて……『いずれは俺たちを超えるくらいの腕前になって欲しい』と鍛えられてましたが、
聞いたら全国大会で優勝するくらいの腕前の人たちと分かって心が折れそうでした。本当に何千敗もしたので、当時の先輩方を思い出すと、顔と名前と使用キャラがセットで出てきます。

羽生:仕事としてはどんな部分の担当を?

玉置:何千敗もして基礎を叩き込まれてから、セリフの作成やストーリーモードの仕様書作成の仕事をもらえるようになり、アニメーションやボイスの収録なども経験させてもらいました。ここは現在取り組んでいるサマーレッスンにノウハウがつながっていますね。

羽生:僕も同様に、プロデューサーという役回りになってからも、当時開発現場で培った姿勢やこだわりは活きていますね。今関わっているタイトルのゲームジャンルは異なりますが、プレイヤーがボタンを押した事に対するレスポンスであったり、結果として起こる演出や、得られるインタラクティブな部分の体験などの気持ちよさなど、いわゆる「手ざわり感の気持ちよさ」には気を使っています。

玉置:サマーレッスンはボタンあまり使わないですけど、やはりそういった「体験のシンプルな気持ちよさ」の重要性は当時から教え込まれて、
身に染みています。VRのゲームも現状はシンプルなものが多いだけに、気持ちのよい体験であることにはこだわっています。

―ソウルキャリバーの経験を元に、今は別のタイトルを担当されている両名から20周年へのコメントをお願いします―

玉置:私は20周年の後半ちょっとだけ携わらせて頂いた新参者にすぎませんが、ゲーム会社生活の頭からソウルキャリバーに関われた事で、ゲームのプロジェクトの歴史って、すごく重みがあって、色々な改善や革新を繰り返して現在があるんだと学びました。この気づきの機会を得たことで、ゲーム作りに対しての向き合い方や最後の最後の踏ん張り方など色々なものをもらいました。本当に20周年おめでとうございます。

羽生:ナムコに入社したいと思ったきっかけが鉄拳やソウルエッジのOPムービーだったので20周年ときくと感慨深いものがあります。あらためましてソウルキャリバー20周年おめでとうございます!